昭和10(1935)年、P .C .L.の音楽映画の成功を受けて、J .O.スタジオ第一回作品『百萬人の合唱(コーラス)』が企画された。当時、レコード業界で破竹の勢いだったビクターと提携、ビクター専属の人気歌手をフィーチャーした、ハリウッドの「音楽バラエティ映画」のスタイルを目指した。これはビクターにとっても最大のパブリシティチャンス。レコードやラジオのみでしか知られていない専属歌手たちの「顔」「歌う姿」をスクリーン上映することは最高のプロモーション。レコードの売り上げにダイレクトに結びつくタイアップだった。 監督は、日本映画初のトーキー音楽映画『マダムと女房』(1931年・松竹蒲田・五所平之助)の助監督を務め、松竹蒲田でトーキー製作の現場を支えてきた富岡敦雄が、やはり大澤社長の声がけで抜擢された。原作はJ. O.スタジオ=ビクター文芸部。ビクターの...
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