代代木忠,少年時代よりチャンバラ、西部劇などの映画をよく見る。55年県立南高校を卒業後、五年間華道芸術学院に学び60年に講師科を卒業。生花店も経営、華道家として将来を期待されたが、家元制度に失望、店の経営に失敗したこともあって華道を断念。知人を頼って興行界、つまりストリップの世界に足を踏み入れ、地方を巡業。たまたま出合った助監督の姿を見て引かれ、映画をやろうと67年にワールド映画に入社する。助監督のほか、舞台演出(いわゆる実演)、脚本などに携わる。71年5月プリマ企画に入社、常務取締役になり、プロデューサーとして数多くの成人映画を作り、72年8月の「ある少女の手記・快感」からは監督にも乗り出す。プリマ企画は日活に作品を提供、監督としても“スケバン”シリーズなどのヒット作を生むが経営が悪化、74年7月倒産。74年ワタナベ・プロダクションを設立、代表となり新たな活動を始める。78年にアクトレスと改称、その後代表から離れるが現在も関連会社アテナ映像ほかの代表をつとめる。最近は、“ONANIE”シリーズなどビデオを使った作品が主体で、性描写のみを追い、ドラマからは離れる傾向が顕著であり、映画の監督作品は減り、アダルトビデオが多い。88年、サイパンにペイテレビ会社M&Wを設立、現地で撮影所を含めたリゾート地の建設を進め、南太平洋の建築物のパヴィリオンを作ろうともしている。現代の“性の探索者”の夢は広がるばかりだ。既婚、夫人は元女優の真湖道代、二女あり。